生きづらくとも

憂鬱ななモノローグ

好きなジブリ映画は何ですか?

 当たり前のようにこう尋ねられることがある。皆がジブリ映画を観ているという前提がまずあってかつ作品に対して概ね好意的であるとの共通認識が無ければこんな問いかけはしない。多数派とおぼしき一群の一員であるとき人は異なる嗜好や思考があることに想像が及ばない。あいにくジブリ映画のほとんどを観ているがそんなことはここではどうでもよい。長い間にわたって多勢の人から支持されてきたとはいえジブリの受けとめられ方はちょっと度が過ぎてる。 消費者の絶対数の量で劣るといっても好きな村上春樹の小説は何ですか?と尋ねられることはまずない。 

好きなテレビ番組は何ですか? というのも困る。 テレビを観るのがごく当たり前の時代はとうに終わったとまでは言わないがテレビが映し出すものにもはや好きも嫌いもない。 テレビは情報受信機器というよりは家具のような存在でただそこにある。いいとこ家電である。 他愛ない世間話からの話題に適当に合わせていられないくらい鬱が辛いときは馬鹿正直に答えてしまうからさぞかし厭なヤツだと思われているはずだ。

話はいきなり飛び季節は夏の暑い盛り。どこか訪ねたり招かれたりするとスイカが何の前触れもなく出されることがある。夏といえばスイカ、外は暑かったでしょ、冷えたスイカは美味しいですよ。と口には出さないけれど笑顔でどうぞとされると同じことだ。 スイカが何よりも嫌いな人間がこの世にいるとは考えないのだろうか。 スイカは嗜好品だ。主食ではない。 好きでない人間がいたって少しも変じゃないのに、スイカが苦手というと気まずい空気になる。 冷えたスイカがあるんだけど、とかなんとか前もって一言でもかけてもらえれば断り方もスマートになるのに、そこまで求めるわたしの方がこの場合でも厭な奴なのだろう。