生きづらくとも

憂鬱ななモノローグ

YouTubeを聴く

自宅にテレビがない人の話を聞いてもさほど驚かなくなった。今やテレビを観てるのは老人だけと言われるのもうちの両親のことを考えると納得できる。つまらない、まるで観るものが無いといいながらテレビは常についている。

祖母の晩年とは違ってネットでもっといろんな物が視聴できるし、そう言いもするのだけれどネットは胡散臭くて信用ならないという。同じような考えのお年寄りが少なくないと想像はできるものの自分の親もそっちに入っているのかと思うと少々複雑だ。

それはともかくチャンネル数が少ないうえに似たような番組を流すテレビから視聴者が離れていくのは当然で、ネットで数限りない映像を観られるようになった今では、もともとテレビをあまり観なかった自分は全くテレビを観なくなった。ただ自分の場合は何かを集中して観ることにとても労力が必要となってそれが疲労として残るので、例えばYouTubeを再生していても画面を見ることはほとんどない。YouTuberと呼ばれる人は一部の例外を除けば動画を撮ることに関して完全に素人だから観せる技術に乏しい。早い話が聞いているだけで番組の内容が理解できるのだ。これは悪いことではない。この忙しいご時世にじっとして一方向を眺め続けるのはいろいろ難しい、はずだ。 ラジオを聴くような感覚でYouTubeをわたしは聴いている。ただ音楽を延々とかけているチャンネルなどDJの無駄なお喋りがないぶんラジオを聴くより何倍も快適だ。同じようなYouTubeの利用の仕方をしている人はけっこういるのじゃなかろうか。