生きづらくとも

憂鬱ななモノローグ

ブログの作法

一部例外を除けばブログは毎日更新するものとされている。ブログの書き方や運営方法について書かれたものを読めばたいていそうある。

ブログを宣伝や集客の手段と考える人は言うまでもなく、そうでない人でも読まれないよりは読まれる方が望ましいだろうし、そうすると毎日更新しているブログ、商売に例えるなら休むことなく毎日オープンしている店に客は足を向ける。当然といえば当然である。

ただ最近はその手のハウツー本の差別化が難しく、書いてあることもほぼ同じで読み手に響くものがないとみたのか、ブログは毎日書かなくてよいを是とするものが現れた。気が向けば何か書けばよい。我慢して義務的に書いても楽しくないしそんなものは他人が読んでも面白いわけがないというのが大まかな言い分だ。しかもブログは日記でもあるから年月が経ってあの時を振り返る時に記憶を喚起できるものが文章として残っている。それだけで充分なんだそうだ。

確かにそんな風に言われれば毎日書くことの義務感からは解放されるし、日記ならば何を題材にしようと構わないわけでネタ探しの労苦とも無縁でいられる。しかしもはやそれはブログといえる代物ではないだろう。間口を広げハードルを下げてとにかく参加者を集う新手のビジネスモデルだと推測されるが、果たしてアクティブでないユーザーは何を供給してどう消費するのだろうか。